古典の世界に観る「NTR」の世界線 ① 『源氏物語』その2

2次元 NTR literature

類まれなるイマジネーションと表現力の持ち主、紫式部の世界線・・・

『源氏物語』に観る「NTR」の世界線 ~紫式部が想う恋愛観~

源氏物語』と言えば、日本人に最も馴染のある古典の中の1冊ではないでしょうか?
54帖の『源氏物語』を実際に読んだかどうかは別として、本の名前や著者とされている『紫式部』の名前くらいは一度は耳にされている事でしょう。
実はこの頃から作品の中に当時の恋愛観の投影が見て取れます。当時の社会は実質の『一夫多妻制』でした。庶民の生活はいざ知らず、宮中貴族たちにとっては『正妻・正室』の他にも複数の女性関係があり、男性側の『通い婚』が当たり前でした。(「妻問婚(つまどいこん)」とも呼ばれていたようです。)
庶民の結婚観に関しては、地域差もあったり資料も乏しい事からはっきりとした事は言えませんが、そもそも「夫婦」という形態よりも「村の中で子供が生まれればそれでよし」という価値観が大きかったと思います。当時の出生率や寿命を考えると、子孫を残す事が現代とは比べ物にならない位大変な時代でしたからね。

現代も実はこの『通い婚』が増えているそうです。基本的には同居はせずにお互いのルールで、定期的に相手の家を訪れて暮らすスタイルだそうです。
ただ、平安時代の通い婚には、① 妻は夫がくるのを待つのみ。 ② 子どもは妻の家で育てる。といった決まりがありましたので、現代の『通い婚』とはイメージが違いますね。

源氏物語における、主人公の『光源氏』は、今でいうところの『名うてのプレーボーイ』と言うところでしょうか?でも、個人的には『ただの変態』のような印象ですね。まぁ、前述したとおり、この時代は、男性は大なり小なり女性関係は派手なのは仕方がないですからね。
紫式部が、少しづつ加筆する形で成立したとされている『源氏物語』はまさに書きながら紫式部のイマジネーションが投影されていったと考えられています。

前回は、① 葵の上(あおいのうえ)から、⑥ 朧月夜(おぼろづくよ)まで見てきました。こちらでは、残りの6人+1人について、続けます。

 ⑴ 古典の世界に観る「NTR」の世界線 ① 『源氏物語』その1
 ⑵ 古典の世界に観る「NTR」の世界線 ① 『源氏物語』その2(このページです)

『源氏物語』で『光源氏』が関係した女性のうち12人+1人に注目 その2

⑦ 源典待(げんのないしのすけ)

光源氏のお相手の中では、かなーり熟女な女性です。これまでの「ロリコンでヘタレな浮気男のイメージ」の『光源氏』のイメージを狂わせてしまうような強烈なエピソード付きで物語に登場します。(巻7「紅葉賀」ほか)
多くの「源氏物語」の読者の『源典侍』のイメージは、「滑稽」だったり「お笑い対象」「からかわれる対象」といった印象が強いのですが、私のイメージは少々違います。
名前の通り、「」という字が入っていますので出自は皇族につながる家柄だということが判ります。(典侍は役職名)
若い頃から、内侍司で女官として登用されて桐壺帝の信任を得ています。そんな「センスも良く人柄も優れ才能豊かで帝の信頼も厚い高級女官」でしたが、色恋沙汰に目がなく、年齢をわきまえずに色々な男性にアプローチしまくります。かつては美人だったものの、容姿は次第に衰えているのは仕方が無い事なのですが、破局した恋人に長く執着されており、作中の描写にも「上品な有様で華奢な体つき」と描写されています。
当時では珍しいのですが、若づくりにとても熱心で、年に釣り合わない言動を繰り返していたとあります。おそらく、この点を皮肉ったりお笑いの対象にしているものだと思われますね。源氏物語に出てくる近江の君」と並び称されているのはいささか納得いかないですね。
当時まだ10代の『光源氏』と「頭中将」の二人も、この「源典侍」のアプローチを受ける事になります。『光源氏』は、当時57~8歳と思われる「源典侍」に対しては常々「いい歳をして・・・(普通の女性ではそんなことは無いのに)どうしてそれほど男好きのなのだろう・・・?」と思っていました。持ち前の好奇心からか単なる女好きからなのかは判りませんが、冗談をいって、わざと彼女の気を惹くようなことでからかってみたりします。しかしながらそこは人生経験豊富な「源典侍」の方が何枚も上手です。有名なエピソードかあります。
光源氏』に流し目をして誘惑をかけてきた「源典侍」と扇の交換をするのですが、その交換した「若い女性向けの真っ赤な扇」には、古今集の歌が書かれていました。

「大荒木の もりの下草 おいぬれば 駒もすさめず かる人もなし」(古今和歌集 詠み人知らず)
(解釈)大荒木の森の草は、もうすっかり老いてしまったので、馬だって食べようとしないし、刈る人もいないのですよ ⇒ 私はもうすっかり年を取ってしまったので、男ども達からは相手にされないのですよ

これが口説き文句だとしたら微妙ですね。私は「枯れそう(=離れそう)」アピールです。これには『光源氏』も、

「笹分けば荒れこそまさめ草枯れの駒なつくべき森の下かは」(蜻蛉日記)
(解釈)笹を分けて入っていったら、人が咎めることでしょう。いつもたくさんの馬が懐いている、森の木陰のような貴女のことだから

といって、逃げようとしますが・・・「源典侍」もすかさず、

「君し来ば 手慣れの駒に刈り飼はん 盛り過ぎたる下葉なりとも」 (源典侍)
(解釈)あなたがいらっしゃるというのなら、飼い馴れた駒のつもりで草を刈って大いに歓待いたしましょう。少々ピークが過ぎて古くなった草葉ではありますけど

と返してきます。その後も、琵琶の音色に乗せてぐいぐいと当てこすってくる「源典侍」(琵琶の名手として有名でした)に、とうとう興味を持ってしまい、一夜を過ごしてしまうのでした。

なんという「光源氏」のストライクゾーンの広さよ』と思っちゃいます。というよりドン引きするしかないのですが、さらにお友達の「頭中将」も「老いてなお尽きることのない好色さがどんなものか確かめたい!あの「光源氏」が寝たという「源典侍」を一度抱いてみたい」といって関係を持ってしまうあたりがこの時代の奔放さでしょうかね。キモイとかではなく・・・

この「源典侍」の、当時では受け入れがたいぶっとんだ好色ぶりですが、いくつになっても色恋を忘れないことは大切だと思います。それが若さを保つ秘訣になると思ってます。先程の「光源氏」と「源典侍」との関係は、『伊勢物語』の六十三段の話が下敷きになったと考える研究者もいます。昔から一定の理解はあったように感じるのですが・・・(一般的ではなかったのかも知れませんね)

これを今風にAVのジャンルで行くと「淫乱な熟女」のカテゴリーですかね。

⑧ 末摘花(すえつむはな)

乳母子の大輔の命婦から、「琴が趣味だという故・常陸宮の姫君」の噂を聞いた「光源氏」は、「零落した悲劇の姫君」という幻想に憧れと好奇心を抱いてしまいます。(ないものねだり?)
そうなると、もう止められないのが「光源氏」の性格です。早速文を送りつけて求愛しちゃいます。そこに、親友の「頭中将」も登場してなぜか、「零落した悲劇の姫君」を奪い合う事になります。(宮中には美しい女性がたくさんいるのにホントにマニアックですね)

結果、「光源氏」は彼女をゲットすることに成功したものの、ある雪の朝、姫君の顔をのぞき見た光源氏はその醜さに仰天することになります。(不思議なのですが、古典の世界では顔を確認しないでセックスするのでしょうかね?まさか正常位ではなくバックスタイルのみとか・・・?
末摘花」に関しては、「源氏物語」では珍しく容姿の描写が多いのも特徴です。

 まづ、居丈の高く、を背長に見えたまふに、「さればよ」と、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。「何に残りなう見あらはしつらむ」と思ふものから、めづらしきさまのしたれば、さすがに、うち見やられたまふ。
 頭つき、髪のかかりはしも、うつくしげにめでたしと思ひきこゆる人びとにも、をさをさ劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかり余りたらむと見ゆ。着たまへるものどもをさへ言ひたつるも、もの言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそまづ言ひためれ。
 聴し色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて、表着には黒貂の皮衣、いときよらに香ばしきを着たまへり。古代のゆゑづきたる御装束なれど、なほ若やかなる女の御装ひには、似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げに、この皮なうて、はた、寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見たまふ。

引用 定家本「源氏物語」本文の研究と資料 ~渋谷栄一氏~ より

(現代語訳)
まず第一に、座高が高くて、胴長にお見えなので、「やはりそうであったか」と、失望した。引き続いて、ああみっともないと見えるのは、鼻なのであった。ふと目がとまる。普賢菩薩の乗物と思われる。あきれて高く長くて、先の方がすこし垂れ下がって赤色づいていることは、特に異様である。顔色は、雪も恥じるほど白くまっ青で、額の具合がとても広いうえに、それでも下ぶくれの容貌は、おおよそ驚く程の面長なのであろう。痩せ細っていらっしゃることは、気の毒なくらい骨ばって、肩の骨など痛々しそうに着物の上から透けて見える。「どうしてすっかり見てしまったのだろう」と思う一方で、異様な恰好をしているので、そうはいっても、ついつい目が行っておしまいになる。
頭の恰好や、髪の垂れ具合は、美しく素晴らしいとお思い申していた方々にも、少しも引けを取らず、袿の裾にたくさんあって引きずっている部分は、一尺ほど余っているだろうと見える。着ていらっしゃる物まで言い立てるのも、口が悪いようだが、昔物語にも、人のお召し物についてはまっ先に述べているようだ。

引用 定家本「源氏物語」本文の研究と資料 ~渋谷栄一氏~ より


髪は素晴らしいが、座高が高く、やせ細っていて顔は青白い、中でも鼻が大きく垂れ下がってゾウ(普賢菩薩の乗り物)のよう、その先は赤くなっているのが酷い有様」と酷評されています。
ここまで言われちゃうのもどうなんでしょうかね?

そうはいいながらも、「光源氏」は彼女の困窮ぶりに同情し、また素直な心根に見捨てられないものを感じて、その後は彼女へ援助を行うようになります。「ブスは三日で慣れる」でしょうか?
ちなみにこの「末摘花」というネーミングは、「光源氏」がこの女性につけたあだ名で、彼女の鼻が紅い」こととベニバナの「花が紅い」ことをかけたものだそうです。

純真な心の持ち主でもあり、「光源氏」に忘れられていた間も、一途に「光源氏」を信じて待ち続ける健気さを魅せます。その性格に感動した「光源氏」は、その後二条東院に引き取って、妻の一人として娶り、晩年を平穏に過したと言う事です。

今風にAVのジャンルで行くと「ブス専」ですかね。そんなの無いか。ここは難しい。純粋な彼女だけを取ってみたら「イチャラブ」でもよいと思ったのですが、「光源氏」があまりにクズ過ぎて・・・今更ですが。

⑨ 花散里(はなちるさと)

数々の女性と逢瀬を重ねていくにつれて、空しい気持ちで「世の中は何もかも無常だぁ」」と、引きこもりがちだった「光源氏」でしたが、「五月雨の空が珍しく晴れたある日」(陰鬱な「光源氏」気持ちを「五月雨」の暗い空に例えているようです)、亡き父帝の桐壺院の女御だった、「麗景殿女御 (れいけいでんのにょうご)」のお邸へとお出かけすることになります。その妹君である「三の君」が「花散里」です
この「花散里」は、かつて「光源氏」とお付き合いしていたいわゆる「元カノ」です。「元カノ」と「」の定義が難しいのですが、「光源氏」には4人もしくは5人の「」がいたとされています。
そのうち「正妻」と呼ばれるのは最初の「」である「葵の上」であって他は「」と区別されているようです。「花散里」も「葵の上」に次ぐ妻と言う事になっていますが、ここでは、「光源氏」がしばらく放置していたこともあって「元カノ」表記にさせて頂いています。とはいっても正式に別れたわけではないのですが・・・

桐壺院の正室であった弘徽殿女御」と「麗景殿女御」はいわば犬猿の仲でした。宮中でもお住いの弘徽殿と麗景殿とは、東西向かい合った場所にありました。更に、「弘徽殿女御」にはお世継ぎの「朱雀帝」が生まれたのに対して、麗景殿女御」には子宝に恵まれませんでした。お二人の間の力関係は歴然としてました。当時はお世継ぎを生んだもの勝ち的な世界だったのに加えて、「弘徽殿女御」はかなり高飛車な性格だったそんな失意の中で帝の亡き後、麗景殿を出ていくのですが、この麗景殿女御」のお気持ちと、終始人生に立ちはだかって抵抗を受けた「光源氏」の気持ちがシンクロしたのでしょうか?橘の花がかぐわしく咲きほころんでいるお邸で、「麗景殿女御」との昔語りに話がはずみます。「光源氏」はしばし桐壺院の御世を懐かんでいらっしゃいました。その後、さりげなく「花散里」のお部屋をお訪ねになります。「花散里」は、永い間、お気持ちが途絶えていた恨みや辛さも、「光源氏」のお顔を見ただけで忘れてしまったかのようになってしまいます。純粋な恋心と良い心の持ち主なのでしょうね。逆に、今も変わらない「花散里」の優しさに、傷心で心が晴れない落ち込んでいる光源氏」はメチャクチャ癒されるのでした。

たちばなの香をなつかしみ郭公(ほととぎす)花散る里をたづねてぞ訪とふ (源氏物語 花散里)
(解釈)橘の香りを懐かしんで、ほととぎすが鳴いています。きっとこの花散る里を訪ねてやってきたのでしょう

人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ (源氏物語 花散里)
(解釈)訪れる人とてない荒れた私の住いでは、昔をしのばせる橘の花だけがあなたさまを誘うよすがとなっております

今風にAVのジャンルで行くと「癒し系」のカテゴリーですかね。

⑩ 明石の方(あかしのかた)

光源氏が須磨で謹慎生活を送っている間に明石で出会った愛人です。後に源氏の一人娘(のちの明石の中宮)を産んだことで、「紫の上」「花散里」に次ぐ地位を得ます。父は源氏の母である桐壺更衣の従兄弟にあたる「明石の入道」という都から少し離れた明石の土地でも近しい関係の方でした。
元々父方の祖父は大臣、母方の曽祖父は中務卿宮という上流の血筋ではあったものの、近衛中将の位を捨てて播磨の受領となったのち、出家してそのまま明石に定住する事になります。
なんと、入道は、「自分の娘が、将来帝との間に后を産む」という夢のお告げを信じて、娘に京の姫君に劣らないほどの教育をほどこし、「もし心ざし遂げずこの宿世違はば海に入りね」と厳しく育てはいました。夢見に夢を見る・・というか恐ろしい執念ですね。

その執念に引かれたのかどうかは判りませんが、「明石の入道」が、「暴風雨がやんだら、須磨にいる者を舟で迎えに行け」というお告げを信じて「光源氏」を迎えに行きます。こうして無事に娘と引き合わせる事に成功しました。娘と「光源氏」は逢瀬を重ね親密になります。謹慎を終えて、源氏が帰京してのち女児(明石の姫君)を出産する事になります。
その後、自身が京へ上ってからも、田舎育ちで「受領の娘」という身分の低さであまたの源氏の愛人達にひけをとるのではと懸念したのか、源氏の邸(二条東院)へは入らず、父が用意した大堰の別邸に住む事になります。ここで「光源氏」は、生まれた姫君の親子対面を果たしますが、姫君は紫の上の養女として引き取られてしまう事になってしまいます。

娘の行く末を考え辛い思いで姫君を手放した「明石の方」の想いはどんなものだったのでしょうか?結局娘とは、しばらく会う事が叶わず、会う事が出来たのは成人して入内する時でした。
明石の方」の性格は、『生真面目で我慢強く万事につけて出しゃばらず賢く振舞うものの、出自の低さを補うためなのかか矜持が高く保とうとする様子は、元恋人の六条御息所と似ている』と「光源氏」は作中で触れています。実際に物語では、皇女にも劣らない美しさと気品を備えるように描写され、和歌や音楽にも洗練された趣味を持ちつ才女として描かれています。

今風にAVのジャンルで行くと「格差(身分差)ある禁断の愛」のカテゴリーですかね。

⑪ 紫の上(むらさきのうえ)

父は「兵部卿宮(後の式部卿宮で藤壺中宮の兄)」、母は、正妻ではない「按察使大納言」の娘という出自で、藤壺の姪にあたる女性です。
母は生まれてすぐに亡くなりってしまった為、母方の祖母である北山の尼君に育てられました。父の兵部卿宮の訪問は、母が正妻出ない事から、なかなか叶わない境遇でした。大伯父の僧都によると母親が亡くなって10余年たち、北山に病気療養に来ていた「光源氏」に垣間見られることになります。
このとき「光源氏」は、幼いながらも、その藤壺と生き写しの容姿に一目で惹かれ、さらに藤壺の姪であることを知り、執着をもつようになります。祖母の死後、父に引き取られるはずであった若紫を略取した光源氏」は、自邸の二条院において、周囲には彼女の素性を隠しながら理想の女性に育てる事になります(「若紫」)。現在だと完全な「誘拐」ですよね。しかも幼女を。なんとキモイと思ったのですが、「光源氏」であれば何でもありだったんでしょうね。

源氏の最初の正妻である「葵の上」が亡くなった後、めでたく源氏と初床となりました。この辺の順番は守るんですね。本気度の違いでしょうかね?それ以降は、公式に正妻と同様に扱われることになります(「」)。それ以降は、「光源氏」が須磨に飛ばされた時期を除いて、常に源氏の傍らにいる事になります。
作中では、「花も自らを恥じるほどの美貌」とされ、更に教養を全て備えてる女性として描かれています。出会いが、「誘拐・軟禁」で始まったので、「紫の上」の心境もどうだったかは判りませんが、あまり印象の良いものでは無かったと思われます。しかしながら時間が経つにつれて、「光源氏」がイケメンなのか、「紫の上」も現状を受け入れていく事になり、その後良い夫婦として描かれていきます。でもこれって美談でいいのかなぁ?と思ってますが・・・・。

今風にAVのジャンルで行くと「ロリコン・異常愛」+「超絶美人」のカテゴリですかね。

⑫ 女三の宮(おんなさんのみや)

光源氏」の姪にして継室(最初の正妻は葵の上。紫の上は正式な結婚手続きを踏んでいないため、正妻格に留まるとする説が有力)。朱雀院の第三皇女、二品内親王という立ち位置です。母は藤壺中宮の異母妹である藤壺女御(源氏女御)。落葉の宮(女二宮)は異母姉にあたります。

出家することになった朱雀院が、まだ若い「女三宮」に母も亡く後見人もいないことを不憫に思い、光源氏」への降嫁を決断しました。(その時、准太上天皇になっていました。)正妻として六条院の春の町の寝殿に入ることになりました。思いがけず「光源氏」も、内親王というブランドを手に入れることになった事は悪い気もしないし、紫の上と同じく藤壺の姪であることに心を動かされ結婚を承諾してしまいます。しかし実際は、容姿は美しいとはいっても、藤壺にはさほど似ていなかった事や、父に溺愛されて過保護に育った故の、彼女のあまりの幼さに失望してしまい、逆に紫の上への愛が増す事になってしまいます。
結果、「女三宮」を遠ざけてしまう事になるのですが、その結果、前から「女三宮」に思いを寄せていた柏木に一方的に距離を詰められ、強引な逢瀬の結果、不義の子薫を産むという事になってしまいます。
そんな苦難を経て「女三宮」は、精神的にも成長していきます。柏木との不義に気づいた「光源氏」はプライドを気付付けられて「女三宮」を執拗に皮肉ります。(柏木にもボソッと本音をつぶやいてしまい、柏木は病の床に伏してしまいます。)
耐え切れなくなった「女三宮」は父の朱雀院に願って出家することになりますが、出家して尼となってから「女三宮」を失ったことを今さらのように惜しみましたが、もはや「女三宮」は、「光源氏」に対しては何の興味も無くなっているのでした。
おれの女なのに!でもNTRてから改めて見ると・・・意外と可愛いじゃん」という自分勝手にしてクズ男らしい展開には、プレーボーイのなれの果てかと少々わびしくも感じてしまいます

今風にAVのジャンルで行くと「NTR」のカテゴリーですかね。

⑬ 軒端荻(のきばのおぎ)

光源氏』と関係を持った女性の一人でありはありますが、前述の空蝉の義理の娘(夫・伊予介の先妻の娘)で、年齢は空蝉と同じくらいです。(結婚が総じて早婚で、色々な相手と子供が生まれるので、義理の母と娘の年齢が近い事も多くてややこしいです。
光源氏』からの猛アプローチから逃げまわる空蝉と、何とか関係を持とうと『光源氏』が忍びこんだ明かりの落ちた部屋で、なんと「空蝉と間違われ」、(『光源氏』は途中で人違いに気づいたものの)そのまま関係を持つことになります。男性は『出撃体制』に形態が変わってしまうと収まりがつかないのは今も昔も同じですね。
一度、関係を持つと今度は一転して、軒端荻のほうから求愛するようになりますが、『光源氏』は、さすがに空蝉のことを思って受入れません。イケメンとの一夜で、その気になっちゃったんですねー。わかりやすい。その後、蔵人少将と結婚しますが、その後も長きにわたって和歌を交わしあっています。『光源氏』の魔性の魅力…おそるべしですね。
軒端荻」と呼ばれる由来は、『光源氏』が送った和歌によるものと言われています。

「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし」(夕顔巻)
(解釈)ほんの一夜のかりそめの契りであっても、 軒端の荻を結ばなかったら(二人の仲を神に祈らなかったら)この露のように儚いはかなうらみごとを何にかこつけて言ったらよいのだろう
(註)荻を結ぶ・・・体の関係を持つ(セックスする)

『源氏物語』に興味を持ったら、原典の前に読んでみませんか

興味はあっても、なかなか読み進められないのは『古典』という厚い壁があるからですかね。日本語ではありますが、古語の意味を知らないと読み進むのは厳しいし、文法も古文法が判らなければニュアンスを読み違えそうです。又、所々にでてくるキーポイントの『和歌』の解釈・・・。
まずは、現代風にアレンジされた『源氏物語』や、特定の人物や出来事にフォーカスして書かれた小説から入っていくというのもアリでしょう。何作かご紹介しますので興味があればぜひ手に取ってください。『源氏物語』の中の『NTR・BSS』の世界線をより濃密に味わるかもしれません。

TOPに戻る

コメント